■開催日時
VIPプレビュー:2025年9月11日 (木) 2:00 PM – 5:00 PM
ヴェルニサージュ:2025年9月11日 (木) 5:00 PM – 8:00 PM
一般公開 :
2025年9月12日 (金) 11:00 AM – 6:00 PM
2025年9月13日 (土) 11:00 AM – 6:00 PM
2025年9月14日 (日) 11:00 AM – 5:00 PM
※最終入場は閉場30分前
■会場
パシフィコ横浜


YUMEKOUBOU GALLERY は、Tokyo Gendai 2025へ出展いたします。
石塚大介・Ryu jeyoon(リュ•ジェユン)の二人展「Heart of Gold」を展示いたします。
絵画と陶芸というジャンルの違う作家ですが、試行錯誤を武器とする彼らの若い感覚から生み出される作品は何かしら引き寄せ合うものを持っており、そこにある自らの存在意義を新しく発見できるかもしれません。何を描きたいのか、何を形作りたいのか、彼らの内側にある想いがここで表現されます。
《Heart of Gold》 - 私たちが再び木の下で集えるのなら (文:リュ•ジェユン)
私は韓国の西の端、海と風が交わる島、白翎島(ペンニョンド)で生まれた。その島の自然は荒々しくも優しく、季節ごとに姿を変えたが、村の入り口に立つ一本の「堂山木(タンサンナム)」だけはいつも変わらずそこにあった。
堂山木は、村の安寧を守る神木であり、人々の願いや恐れを共に抱いていた。村人たちは毎年正月になると「堂山祭(タンサンジェ)」という祭祀を行い、色とりどりの布を木に結び付けて祈りを捧げていた。私にとって堂山木は、人間と自然、共同体と神聖さ、現実と想像が交差する「生きた境界」であり、「初めて信じた造形物」でもあった。
現在、私は異国の日本・京都で暮らしている。この土地の土や木、人々と長い時間をかけて関係を築くなかで、私の作品は自然と「漂う自己」や「移動する記憶」の形を帯びてきた。今回の展示は、私が生きてきた異なる場所と時間を織り交ぜた「移植された森」の物語であり、新しい堂山木の幻影である。
この展示は、私の個人的な記憶とアイデンティティの探求を超え、もう一人の作家との出会いを通じて拡張される共同の物語でもある。
石塚大介は、私とは異なるメディアと背景から出発した作家である。彼は漫画とSNSという軽やかで即時的なメディアを基盤に活動を始め、私は土と火という緩やかで物理的な時間性を持つ造形言語を扱ってきた。
しかしながら、両者の作品には共通して、「忘れられた自己の層」に触れ、重なり合う感情や記憶、そしてアイデンティティの痕跡を解体し再構成するという点で深い接点がある。石塚がSNSというコミュニケーションの場で疎外され、自身の内面を描き直そうとした絵画は、私が白翎島から京都に至るなかで土を練る行為と軌を一にする。
異なるリズム、素材、表現方法を通じて、私たちは別々の道を辿りながらも、最終的には同じ森の奥へと向かう自己探求の旅路を共有している。
この展示は、その旅が交差する地点であり、それぞれの方法で問いかける「心の核心」そして「純粋さの可能性」への応答である。
展示タイトル《Heart of Gold》は、ニール・ヤングの同名の楽曲から引用したものであり、「誠実で純粋な心を探す旅」を意味している。すなわち、忘れかけた内なる純粋さと再びつながろうとする試みであり、石塚と私がそれぞれの方法で問い直そうとした「心の中心」でもある。
私たちが積み重ねてきた記憶と感情の痕跡は、展示空間全体を森のように構成された場所の中で交差し、絡まり合いながら表現される。
展示空間には、複数の堂山木を模した造形物が森のように配置されている。それぞれの木の枝には、石塚が描いた細長いキャンバス布の絵画作品が、祭祀で結ばれる布のように垂れ下がる。その姿はまるで過去の記憶やもう一つの自己が枝の上から観客を見つめているかのようであり、空間全体に流れる記憶とアイデンティティの流れに生気を与える。
これは伝統的な祭祀の形式を想起させつつも、現代のSNS時代が孕む葛藤と希望を象徴するものであり、風のように揺れながら空間を包み込む。
石塚の作品は、SNSから派生した共感性と混乱、記憶と衝動の堆積によって成り立っている。漫画家を夢見てきた彼にとって、SNSは自由な表現の場であったが、影響力の増大とともに「本当の声」が語れなくなる不自由さも経験することになったという。彼は掌ほどの画面には収まりきらない思考や感情、葛藤、野心、情熱を、絵の具を幾重にも重ねて塗り、削ることで表現する。特に彼の作品にしばしば登場する鹿の角は、彼が生まれ育った奈良という土地と自身のアイデンティティへの回想を含み、それは私の作品が扱うアイデンティティの探求とも深く響き合う。
その過程で浮かび上がる「記憶の層」は、私の作品に蓄積された土と火の記憶とも深く共鳴している。展示空間の壁面には石塚の絵画が設置され、一部には穴が穿たれ、そこに私の土による平面作品が挿入されている。観客はその隙間から森の奥を覗き込むようにして、絵画と彫刻、平面と立体が重なり合う視線の森を体験することになる。
展示空間の中央床面には、石塚の平面作品が池や沼のように敷かれ、その上には私の立体作品が浮かぶように配置されている。それらは水面に映る意識の断片、あるいは無意識の中に漂う記憶の形として空間をたゆたう。
さらに、森の床のあちこちには、私が野焼き(露天焼成)で焼き上げた数多くの卵型の造形物が撒かれている。これらの造形物は、火という根源的な力によって再び生まれた存在であり、荒々しい自然の中で直接焼かれたその表面には、それぞれ異なる生命の痕跡が刻まれている。